堀田善衛展レポート

2008年10月11日、神奈川近代文学館で開催されている「堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世。」に行ってきました。
当初、このイベントに行くつもりはなかったのですが、宮崎駿監督の講演会が開かれると聞いて、急きょ足を運ぶことにしました。宮崎さんは、1980年代まではアニメーション制作の合間を縫って普通に講演活動をしていましたが、知名度が上がるにつれ講演の依頼も多くなり、平等を期すために1990年代以降はほとんど講演をしなくなっていました。講演会は事前申込制でしたが、宮崎さんのお話を長く聴ける機会はかなり貴重ですので、ハガキで応募しました。応募多数の場合は抽選になったようですが、無事にチケットが届きました。


神奈川近代文学館の最寄駅はJR石川町駅です。駅から会場までのルートに元町商店街がありますが、ここは2002年公開のスタジオジブリ作品「猫の恩返し」のロケ地になった場所です。作品の舞台の1つである十字街に雰囲気が似ています。


元町商店街を過ぎると、急な登り坂が待っていました。横浜は港町であると同時に、坂の町でもあるんですよね〜。


港の見える丘公園まで来ると、案内板があって会場まではスムーズに行くことができました。


神奈川近代文学館に到着。ここからは横浜港やレインボーブリッジを見渡すことができます。

館内は当然撮影禁止で、講演会も撮影・録音は禁止されていました。ここからは文章中心のレポートとなります。

宮崎さんの講演会は14時開演(開場は13時半)で、それまで少し時間があったので先に「堀田善衛展」を観覧することにしました。
展示は2部に分かれていて、第1部では堀田善衛さんの足跡(そくせき)が紹介されていました。宮崎さんに影響を与えた作家の1人として堀田さんの名前は知っていましたが、彼がどのような人生を歩み、どんな作品を残してきたのかは具体的には知りませんでした。ですので、講演の前に堀田さんの足跡を見ておいてよかったです。堀田さん直筆の原稿や手紙など、生前の貴重な遺品も展示されていました。
第2部では、「スタジオジブリが描く乱世。」と題し、スタジオジブリのスタッフが描いたイメージボードが展示されていました。イメージボードは大きく2つに分かれていて、1つは「定家明月記私抄」と「方丈記私記」を原作とする「定家と長明」、もう1つは「路上の人」を原作とする「路上の人」でした。どちらもスタジオジブリがアニメーション映画化すると想定して今回の展示会のために描かれたということでしたが、宮崎吾朗さんやスタジオジブリの数名の美術スタッフが描いたイメージボードは本格的なもので、実際にジブリ社内でこの2作品が宮崎吾朗監督の次回作の企画として検討されていたのではないでしょうか?これらの企画はボツになったのか、今でも進行中なのか、はたまた本当に今回の展示会だけのために描き下ろされたのかは判りませんが、吾朗さんが次回作に意欲的なのは確かなようですね。


展示会は15分程で観覧し終えました。出口で図録が発売されていたので購入しました。表紙は宮崎駿監督が描いたもので、もともとは宮崎駿、堀田善衞、司馬遼太郎の3人の鼎談を収録した書籍「時代の風音」の表紙に使われていたものです。

そうこうしているうちに、開場の時間が迫ってきました。私は一旦建物の外に出て時間を潰していたのですが、戻って来てみるとすでに行列ができていました。会場である展示館ホールは250席程で、関係者専用席もありました。
開演時間の14時を少し過ぎて宮崎駿監督が現れると、会場は大きな拍手で包まれました。映画制作から解放された後とあって宮崎監督は顔色が良く、とてもお元気そうでした。お姿を確認できませんでしたが、会場には堀田さんの長女である百合子さんと鈴木敏夫プロデューサーもいらしてたようです。
講演会の題目は「方丈記私記と私」でしたが、内容は宮崎監督にとって堀田善衛という人間はどんな存在だったのかということが主題だったような気がします。宮崎監督は堀田さんを「常に同じ位置に立って座標になるような人」と表現し、映画制作に行き詰ると堀田さんの作品を大いに参考にしたそうで、手塚治虫さんをはじめ自分に影響を与えた人間はたくさんいるけれど、一番芯になってるのは堀田さんだとおっしゃっていました。宮崎監督が堀田善衛の作品と出会ったのは20歳の頃で、芥川賞受賞作の「広場の孤独」や「漢奸」といった作品を愛読していたそうです。堀田さんの作品の国家と個人、乱世のおける人間の所業といったテーマは宮崎さんの作品にも反映されています(特に「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」あたりがそうじゃないでしょうか)。
また、宮崎監督と堀田さんは個人的な付き合いもあり、堀田さんから「方丈記私記」や「路上の人」のアニメーション映画化を直接勧められたそうですが、いろいろと模索した結果、映像化は無理だと判断して今日に至るそうです。講演会の題目になってるだけに「方丈記私記」については詳しく語って下さり、鎌倉時代と太平洋戦争という2つの時代を同時に扱ってアニメーション化するのは困難だというのがその主な理由でした。そして、今回の展示会で紹介されていた吾朗さんのイメージボードを全否定し、「これは鈴木(敏夫)さんの陰謀だ」とまで言っていました(笑)。堀田さんに関すること以外でも、平安時代末期は異常気象の時代で、それは太平洋に彗星が落ちたからという説があるだとか、宮崎さんの豊富な雑学の一端を拝聴することができました。それ故、話題が脱線することも多かったです(笑)。
講演は当初90分を予定していましたが、60分弱で終わってしまい、残りの時間は質疑応答となりました。5〜6人の方が質問をされましたが、宮崎さんはどの質問にも丁寧に返答なさってました。「堀田さんとの交流の中で一番印象に残ったことは?」という質問には、「司馬(遼太郎)さんと堀田さんに挟まれて鼎談を行なったこと」と答えてらっしゃいましたが、これは先に紹介した「時代の風音」に収録されたものですね。また、イメージボードに描かれる宮崎さんの水彩画についての質問もありましたが、本人は「あれは真似してはいけないもの」と謙遜し、数名の画家の名前を挙げて世の中にはもっと素晴らしい絵画が存在することを力説していました。2007年3月にNHKで放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀」ではミレーの「オフィーリア」に感嘆する宮崎さんの姿がありましたが、その時受けた衝撃は今も深く刻まれているようでした。
まだ質問をしたがっている方が数人いましたが、予定の90分を過ぎ、大きな拍手とともに宮崎監督は退場されました。講演のテーマの関係上、アニメーションに直接関係する話題は多くはありませんでしたが、貴重な宮崎さんの話をたくさん聞くことができて有意義な時間が過ごせました。やっぱり宮崎さんは博識なんだと再確認させられるひと時でした。


帰り道、港の見える丘公園で人懐っこい猫に癒されました(笑)。私の見た限りでは4匹はいましたが、上の写真の2匹は人を全く怖がらず、たくさんの通行人に撫でられていました。